資本の罠に騙されるな! 「純情商店街」が隠しているもの【適菜収】 連載「厭世的生き方のすすめ」第18回
【連載】厭世的生き方のすすめ! 第18回
■適度に陰気な商店街
悪徳商人が幅を利かせる商店街ではなく、もう少し落ち着いた、適度に陰気で、適度にやさしく、適度に反時代的な、厭世的な商店街はないものかと思っていたら、昨年暮れ、偶然見つけることができた。山手線のターミナル駅から1駅なのに、駅前には交番とハンバーガーのチェーン店と蕎麦屋と不動産屋しかない。3分ほど歩けばアーケードがあるが、薄暗く、皆、俯きながら歩いている。
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私はこうした商店街には陰気な店が多いのではないかと予測したが、それは的中。街を歩いてみると、ほとんどの店が陰気だった。魚料理の店に入ると、荒井注みたいな顔の主人が血走った目でこちらを睨みつけてきた。明らかに招かれざる客である。私は初めて行く店でも緊張することはないが、このときは身構えた。ホワイトボードに書いてある刺身を注文したが返事はない。しばらくして刺身が出てきたが醤油がない。隣に座っていたおばあさんがカウンターの端にある醤油をとってくれた。常連だけで成り立っている店なのだろう。排他的なところがいい。
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その近くにある寿司屋の主人はオスヴァルト・シュペングラーに似ている。それだけで十分陰気で、かつ不気味だ。その寿司屋で教えてもらったビストロも輪をかけて陰気だった。店に入ると女性店員は黙って黒板メニューを持ってくる。注文すると黙って黒板を下げる。かわいらしい顔なのに、世界の不幸を一身に背負ったような表情で、客商売としては失格だが、厭世的という点では合格である。

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別の寿司屋に入ったとき、なにか変だとすぐに感じた。床が大きく傾いている。注文した寿司も最低で、魂の平衡感覚を失った。
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まだ行っていないが気になる寿司屋がある。ネット情報によると、店主は俗語でいう「コミュ障」とのこと。だから、注文するのが難しい。そのうえ、値段は高く、常連にはいい魚を出し、一見の客にはまずい魚を出すという。心の余裕があるときに訪れてみたい。
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本当に人情にあふれているのは、こうした商店街ではないか。そこにはきわめて人間的な不穏で薄暗い情念が渦巻いている。シュペングラーは、近代的思考では、人間の生、魂にたどり着くことができないと言った。谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』を書いた。
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表面だけ明るく見せかけた「純情商店街」より、魂の深淵をのぞき込むファウスト的、ディオニソス的、厭世的商店街で、私はショッピングをしたい。
文:適菜収
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